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二胡とは

二胡とは

二胡(にこ)とは、「中国のヴァイオリン」とも言われる中国ではもっともポピュラーな民族楽器で、日本では胡弓という名でも広く親しまれています。美しく情感豊かな音色は人間の声に最も近い楽器といわれ、近年のヒーリング音楽の盛り上がりとともに、数々のCMや映画、TVなどの音楽でも二胡が使用され、日本でもその音色を耳にする機会が増えています。

二胡各部名称

二胡各部名称

二胡の歴史

二胡が歴史に登場したのは、唐代(618〜907年)のこととされており、孟浩然の詩の中に二胡の原型と思われる楽器を演奏する様子を描写した段があります。
また、宋代(960〜1279年)の文献には、二胡の原型と思われる楽器の図や奏法が記されたものが残っていますが、その時代の楽器は素材や構造が現在のものとは異なっていました。

二胡が現在の形状と近いものになったのは明代(1368〜1644年)に入ってからのことで、二胡は劇や曲芸などの大衆芸能の伴奏楽器として急速に発展し民衆の間に広く浸透していきました。
明代末ごろには各地方劇の音楽の特徴に合わせて多種多様の擦弦楽器(京胡、板胡、高胡など)が誕生したと考えられています。

今世紀に入り西洋音楽が中国に大量に入ってくると、西洋音楽と中国の伝統音楽とを融合させた新しい音楽や奏法が開発され、二胡は新たな発展段階を迎えます。
劉天華は、二胡の音高を定め、数多くの練習曲を作曲して体系的な音楽教育が行えるようにした一方で、独奏曲「良宵」、「病中吟」、「燭影揺紅」、「光明行」などを作曲し、伴奏楽器とみなされていた二胡を一躍主要な独奏楽器としての地位にまで押し上げた人物です。1950年代になると、楽器の改良が進むと「二泉映月」、「流波曲」など、今でも名曲といわれる独奏曲が次々と生み出され、以降、多くの名曲や著名な演奏家が誕生しました。

近年ではすぐれた演奏家が海外に進出し、二胡は世界に広く親しまれるようになってきました。
そうして各国に根を下ろした二胡は、その土地の音楽と融合し、中国音楽の枠を超え、より普遍的な楽器として新しい生命を得ようとしています。

参考文献:『賈鵬芳の二胡教本』

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陳暘 著「楽書」より

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憂子求 画「麟堂秋宴図」

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